滋賀県にある国宝・彦根城へ、カメラを片手にひとりで行ってきました。
400年前の姿を今に伝える勇壮な天守、そして天守から見渡す琵琶湖の青い輝き……。 自分のペースで歩くからこそ見えてくる、お城の表情や城下町の情緒をたくさんの写真に収めました。

国宝、彦根城
今回は、実際に歩いて感じた彦根城の魅力や、少し息を切らしながら登った階段の思い出など、私の旅の記録を綴っていきたいと思います。

今回は名古屋から車で来ました。名神高速道路の彦根インターで降りて約15分くらいだったと記憶しています。彦根城へは50年以上前の冬に訪れています。
その時は国鉄(JR)で来ました。今回も冬に来ましたが雪のイメージが印象的です。
駐車場から歩いて城門にむかいます。この日は平日でしたが駐車料金は1,000円ポッキリ。
どこも同じような値段だと思いました。城門に行く途中に博物館がありましたが、この日は臨時休業でした。



ゆっくり歩いて10分くらいだった記憶です。お城に入るのに入場料1,000円払います。そして天守閣まで上り詰めます。入城するまえに一言、足が不自由な人や膝に支障がある人には天守閣には登れないと思います。いや登れたとしても降りることが、とっても大変だと思います。天守閣に登る階段の勾配はハンパじゃありません。敷地内を見学するだけならまだしも天守閣は諦めた方がよいと思います。
天守閣をめざして

表門から坂道を登りきったところで目に飛び込んでくるのが、この「天秤櫓」です。 左右対称に広がる力強い姿は圧巻ですが、実はかつて長浜城から移築されたものという説もあるそうです。
手前の「廊下橋」は、昔は屋根があったとのこと。もし敵が来たら橋を落として守るという、お城ならではの「守りの工夫」を想像しながら歩くと、一段と歴史の深さを感じました。
天秤櫓(てんびんやぐら)
- 天秤櫓(てんびんやぐら) 中央の門を挟んで、左右に同じような2階建ての櫓が配置されている姿が、天秤(てんびん)のような形に見えることからこの名がつきました。この形式の櫓は、日本の城郭の中でも彦根城でしか見られない大変珍しいものです。
- 廊下橋(ろうかはし) 天秤櫓の正面に架かっている木橋です。江戸時代には、その名の通り壁と屋根がついた「廊下」のような橋で、外からは中の人の動きが見えないようになっていたと言われています。
- 鉄壁の防御システム「落とし橋」 この廊下橋は、敵が攻めてきた際には橋を切り落として侵入を防ぐ「落とし橋」としての役割も持っていました。橋の下は大きな空堀(堀切)になっており、橋がなくなれば高い石垣を登らなければならないため、本丸を守る要の場所でした。


この周辺に民芸品売り場がありました。この先は確かなかったような記憶です。間違っていたらごめんなさい。
彦根城の象徴「天秤櫓(てんびんやぐら)」と「廊下橋」


天秤櫓のユニークな構造 門を中央にして、左右に同じ形の櫓が伸びる姿が「天秤」に似ていることからそう呼ばれています。このような形の櫓は、日本の城郭で彦根城にしか現存しない極めて珍しいものです。
戦(いくさ)への備え「落とし橋」 手前に架かる「廊下橋」は、敵が攻めてきた際に橋を切り落として侵入を阻む役割を持っていました。門の中から外を眺めると、ここが重要な防衛拠点であったことが肌で感じられます。
城郭から望む琵琶湖と城下町の絶景


戦略的な高台からの眺望 高い石垣の上に建つ櫓越しに見えるのは、広大な琵琶湖と彦根の街並みです。
「日本の音風景」が聞こえる場所 で見下ろしている広場あたりからは、四季折々の城内の風景が楽しめます。ここから眺める景色は、かつての城主も眺めていたであろう、彦根城ならではの醍醐味です。
今も時を告げる「時報鐘(じほうのかね)」

歴史を刻む音色 江戸時代から城下の人々に時を知らせてきた鐘です。驚くべきことに、現在でも毎日5回(6時、9時、12時、15時、18時)、実際に鐘が突かれています。
文化的な価値 この鐘の音は、周囲の環境と調和した素晴らしい音として「日本の音風景100選」にも選ばれています。写真に写っている「聴鐘庵(ちょうしょうあん)」という茶室では、この鐘の音を聞きながらお茶を楽しむこともできます。
本丸を守る最後の砦「太鼓門櫓(たいこもんやぐら)」

重要文化財の重み 看板(IMG_5407)にある通り、この櫓は本丸の表口を守る大切な門です。彦根城が築かれた際、他の城から移築されたと言われています。
珍しい構造「背面の開放」 この櫓の最大の特徴は、建物の背面(内側)が壁ではなく、高欄(手すり)付きの廊下になっている点です。これは他の城の櫓門にはほとんど見られない、彦根城ならではの非常に珍しい形です。
名前の由来 かつてはこの櫓に太鼓が置かれ、登城の合図や緊急時の知らせに使われていたことからその名がつきました。
国宝・彦根城天守の見どころ

ついに、本丸の広場へ到着!目の前に現れたのは、400年前からこの地に建ち続ける国宝・彦根城天守です。
「国宝」五城のひとつ 現在、日本に江戸時代からの天守が残っているお城は12しかありませんが、その中でも特に価値が高いとして国宝に指定されているのは、彦根城を含めてわずか5つ(他は姫路・松本・犬山・松江)だけです。

眼下に広がる彦根市街と琵琶湖 手前に広がる豊かな木々の向こうに、彦根の城下町、そして遠くには日本最大の湖である琵琶湖が一望できます。天気が良ければ、対岸の比良山系まで見渡せることもあります。
天守閣の中





国宝に指定されている彦根城天守の内部は、装飾を削ぎ落とした武骨な「戦う城」としての実用的な造りが今なお色濃く残っています。
一歩足を踏み入れると、長い年月を経て黒光りする太い梁や柱が、江戸時代から変わらぬ力強さで建物を支え続けており、壁には三角形の「鉄砲狭間」が設けられるなど、有事の際に銃を構えて敵を迎え撃つための徹底した備えを至る所で見ることができます。
また、内部には幕末の大老として知られる第13代藩主・井伊直弼公の木像が安置されており、この地を治めた井伊家の歴史の深さを静かに物語っています。さらに、現代の来訪者のために窓からの景色を「インスタ映えスポット」として案内する遊び心も加わっており、古い歴史と現代の感性が交差する不思議な空間となっているのが印象的です。
天守閣名物の急勾配な階段を一段ずつ踏みしめて登りきった先には、窓越しに琵琶湖や城下町を一望できるパノラマが広がり、まさに当時の城主と同じ目線で絶景を堪能することができる、歴史と感動が詰まった場所と言えます。

井伊直弼 公
幕末、アメリカからペリーが来航し、日本に開国を迫りました。幕府内が混乱する中、大老に就任した直弼は、1858年に「日米修好通商条約」を締結します。 当時の国内では反対意見も非常に強かったのですが、彼は「このままでは日本が外国に飲み込まれてしまう」と危機感を抱き、批判を覚悟で鎖国を終わらせ、近代日本への扉を開く決断を下しました。強硬に政策を進めたことで多くの反感も買い、反対勢力を厳しく処罰した(安政の大獄)結果、1860年、江戸城の桜田門外で暗殺されてしまいます(桜田門外の変)。

彼がいなければ日本の近代化はもっと遅れていたかもしれません。彦根城の中にこの像が大切に安置されているのは、彼が彦根の人々にとって今も誇り高い名君である証でもあります。
彦根城名物の急階段

彦根城天守の階段は、現代の私たちが想像する階段とは全く別物です。最大の特徴はその「角度」。最も急な場所では傾斜が約62度もあります。これは一般的な住宅の階段(約40度前後)と比べると、見上げた時にほとんど壁のように感じる角度です。「階段を登る」というよりは、両手で手すりをしっかり掴んで「ハシゴをよじ登る」という感覚に近かったのではないでしょうか。
これは、お城が「戦うための要塞」だった証拠です。 もし敵が天守内部に侵入してきた時、階段が緩やかだと一気に上まで攻め込まれてしまいます。そこで、わざと急勾配にして、しかも幅を狭く作ることで、敵が一人ずつしか登れないようにし、上から槍などで攻撃しやすくするための工夫なのです。
まとめ
400年前の階段を一歩ずつ登り、天守の窓から琵琶湖を眺めた時、かつての武士たちが守ろうとした景色の美しさを肌で感じることができました。
70歳での城巡りは、足元に気をつけながらの少しハードな挑戦でしたが、その分、頂上で受ける風の心地よさは何物にも代えがたい思い出になりました。



